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茶壶的魅力:日本传统艺术的精髓

09-13

茶壶的魅力:日本传统艺术的精髓

「こんにちは、私はお茶のポットです。

“大家好!我是一个茶壶

私は陶器でできていますのよ。

我可是瓷制的哟。

注ぎ口は細くて長くて素敵でしょう。

我的壶嘴又细又长多漂亮呀。

いつでしたか、どなたかがバレリーなの腕のようと、ほめてくださいましたわ。

曾经有人夸奖我的壶嘴像芭蕾舞演员的手臂。

取っ手の幅の広さはどう思いまして?

你看我的壶把儿是不是也很宽啊?

なんと申しましても、陶器は私のように上品で、しかもおしゃれでなくては。

不管怎么说,瓷器就应该像我这样高贵,时髦。

なにしろわたしは、一流の職人さんが、それはそれは丁寧に作ってくださいましたのよ。」

反正,我是一流的工匠非常非常细心地制作出来的。”

お屋敷の台所で、お茶のポットはいるも自慢していました。

在富人家的厨房里,茶壶总是这样骄傲。

でも、聞かされるクリーム入れや砂糖入れは、ほめるよりも、もっと別のことをよくいいました。

但是每次奶油罐和糖罐听到茶壶自吹自擂,不但不赞美它,反而总是提起另一件事。

「とことで、ポットさんの蓋はどうされました?」

“那么,茶壶,您的盖子是怎么搞的?”

そのことを言われると、ポットは黙ってしまいます。

提到盖子,茶壶就没话说了。

蓋は前に一度壊されて、つぎはぎにされ、継ぎ目はあるのです。

它的壶盖曾经被摔碎过,现在上面还有接缝。

そうね。誰でも悪いところに目がいくものよね。

是啊。谁都会注意到别人的缺点。

でもなんと言われても、わたしはテーブルの上の女王よ。

不过不管怎么说,我才是茶桌上的女王。

だって、のどが渇いている人間を助けてあげることができるんですもの。

因为我可以帮助口渴的人们解渴。

この注ぎ口が女王の証拠よ。

我的壶嘴能证明我就是女王。

クリーム入れも砂糖入れも、いってみれば家来じゃないの。

说到底奶油罐和糖罐都只不过是仆人罢了。

そんなある日のこと。

可是,有一天。

食事のときにだれかがポットを持ち上げた拍子に、床に落としてしまったのです。

吃饭的时候,有人拿起茶壶,一不小心把茶壶掉到了地上。

ポットは床で音を立てて、粉々になってしまいました。

茶壶发出很大声响,被摔碎了。

それから私は、貧しい家の人にもらわれて行きましたの。

后来我就被送给了穷人家。

そこで土を入れられ、球根を埋められましたわ。

我的身体里面被装进了土。土里埋了一个球茎。

私は嬉しく思いました。

我太高兴了。

なぜって球根は、私の体の中でグングンと元気に育ち、目を出したのです。

因为球茎在我的身体里茁壮成长,后来球茎发了芽。

そして、朝を、迎えるたびに大きくなり、ある朝見事な花が咲きましたの。

每天早晨它都会长得更高,终于有一天早上,球茎开出美丽的花。

花は娘のようなもの。

花就像我的女儿一样。

まあ、お礼は申してくれませんでしたが、私は幸福でしたわ。

虽然没有人感谢我,但我是幸福的。

家のひとたちは花を見て、その美しさをほめてくれました。

家里人看到花,都夸它开的美丽。

だれかを生かすために自分の命を使うって、うれしいことです。

用自己的生命培育别人,这是多么让人高兴的事。

そのとき初めてそう思いました。

那时我第一次有了这种感觉。

でも、家の人たちは「こんなきれいな花は、もっと素敵な植木鉢に植ええたほうがいいね」と、花を連れていき、私を庭の隅に放り投げましたの。

但是有一天家里的人说:“这么漂亮的花,该换个好一些的花盆。”于是他们把花移走了,把我扔到了院子的角落。

でも、私をかわいそうなどと思わないでくださいね。

但是请不要可怜我。

ええ、私は思い出がたくさんあるのですから。

因为,我有很多回忆。

これだけは、だれにも壊したり、放り投げたりできませんのよ。

只有回忆才是谁都无法破坏,无法夺走的。

おしまい

完结撒花

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